2011.06.10 Friday
寡黙
夜、あるいは山や砂漠や氷の長い孤独に包まれているとき、きみは肉体の苦しみに動かされて、同じように忘却を求めているだれかとの偶然の出会いに反応することがある。おたがいの共通言語はなく、相手になにか言うことはまったくできない。市民的、都会的アイデンティティを持たないだれかが、個人史をはぎとられただれかが、自分の身体を、傷跡のない傷の計りしれない深さを、暗い興奮を差し出す。きみは自分を捨てて、途方もないキスと抱擁に身をゆだねる。きみは裸になり、見知らぬ人の奇妙な情熱に身をゆだね、絞殺や、レイプや、虐待や、侮辱や、憎しみの叫びや、解き放たれた丸ごとの危険な情熱に身をゆだねる。野獣的で爬虫類的な情熱に自分を失う。なんの代償もなく、だれかに強要されたわけでもなく、きみはばらばらになる。同じ言葉を話す人たちのなかにふたたび戻っても、きみはそのことを語らない。
われわれに与えられるもっとも強烈で官能的なよろこびが、寡黙と沈黙を引き起こすのはどうしてなのだろう。見知らぬ人ではなく、心の通じあいが良好な相手、実際に一緒に暮らして、官能的な身体のすべてを惜しみなく与えてくれる相手の場合も、語りは沈黙させられる。
(アルフォンソ・リンギス「信頼」岩本正恵訳 青土社)