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1982、江古田、原宿、福生
10月20日、水道橋 ワークショップ第8回 大森克己の18歳の頃の写真をスライド上映する。

横井英樹のホテルニュージャパンで大火災が起きてたくさんの人が死んだり、日航機のパイロットが逆噴射したり、キヨシローと坂本教授が化粧をして”ルージュマジック”を唄っていたそんな頃で、街にはまだドトールもスターバックスもGAPもなかった1982年。海の向こうのニューヨークで“GRANDMASTERFLASH&THE FURIOUS FIVE"というアフリカ系アメリカ人の男たちが“MESSAGE"を送り出し、イギリスとアルゼンチンが戦争をしたりしていた。



その年の4月、僕は18歳で東京の江古田というところにある日本大学芸術学部写真学科で写真を学ぼうと上京し、西池袋に四畳半フロ無し家賃1万8千円のアパートを借りて一人暮らしをはじめた。童貞だった。両親からは月ずき8万円の仕送りをもらっていた。日大の同学年には後にカタカナになってしまう本間孝やずーっと漢字の今枝弘一とかがいて、それぞれに”黒田武士”でカレー300円や”愛情ラーメン”でラーメン160円や”増田屋”で冷やし納豆そば500円とかを食べていた。最初の写真基礎1の授業でひげを生やしたダンディー浜中先生は、今、ときどきカタカナのシノヤマキシンが大学1年の時に課題で撮ったという髪の長い10代後半とおぼしきでもあんまりセクシーじゃない女性がにっこり微笑んでいる白黒のプリントを見せながら「みなさんこの写真、だれがとったかわかりますか?えーっと、うらになまえがあるなぁ、あーっ、し・の・や・ま・み・ち・の・ぶ」と初めての授業の緊張をほぐしながら笑って、みなさんもがんばるようにとはげましてくれた。

CANON A-1&NEW FD 50ミリにトライXをつめて燃えていた僕は、池袋や福生や原宿の街を歩き始める。でもすぐに僕はあることに気がついて恐くなり、写真を撮らなくなっていく。





写真を撮るという行為はとても暴力的だ。なぜって無理矢理時間や空間をこのほかでもない自分が切り取ってしまう。そしてこの世界をまざまざと見てしまう。なんて残酷なんだ。自分の才能を確信していた僕はそのことに気ずいて、まだいろいろなことが下手でいろいろなことをやり過ごす体力もなくて途方に暮れていた。”写真を撮る資格”って何だろう、とかぬるいことばでごまかしながら自分の中の動物のようなまなざしをむき出しにすることを恐れてただ途方に暮れていた。遠いところに逃げなきゃ行けないと思いながら、ときどき”おしどり”でサッポロビール大310円を飲みながら“アールヴィヴァン”でみたロバート・フランクやダイアン・アーバスの写真集のすごさを本間君に吹聴して酔っぱらっていた。BGMは”あみん”の”待つわ”とかで。。。



僕が残酷さに耐えながらも写真を撮り続けようと確信するのはずっと後のこと。30歳になる頃だ。

というわけで18歳の頃の写真は今あまり残っていない。でも数少ない当時撮った写真はとてもいとおしい。長い間写真を撮りながらサヴァイヴしていてもついうっかり写真が持つ暴力性のことを忘れてしまいそうになるときがある。官能的な殴り合いのような、政治的なたちの悪い冗談のような、うっとりする催眠術のようなそのことを18歳の僕が撮った写真は思い出させてくれる。


| ワークショップ2005 | 15:06 | - | trackbacks(0)
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